身の回りの人を見ていると、
・充実してそうな人
・つまらなそうにしている人
がいます。
これらの人の間にはどんな違いがあるのだろうか、と思っていました。他人の心など100%わかりませんし、思っていることすべてを口に出すわけでもありません。ですから、実際はどうなのか知るよしもないですが、傍から見ていて、この人は幸せそうだな、この人はつまらなそうにしているな、と感じることはできます。
両者にはこんなような違いがあるのでないか?と思っています。
目次
①充実している人は自分で進む道を選び、
つまらなそうにしている人は自分で選んでいない
自分の頭で考えて進む道を選んでいるか・いないかというところが大きな違いではないかと思います。人生にはいくつかの節目がありますよね。たとえば、
・高校卒業後してからの進路で、自分のどの道に進みたいのか考えているか、それともなにも考えず周りに合わせて動いてしまっているか
・就職活動をする際に、自分の頭で考えて試験を受ける会社を決めたか、それとも周りの人と同じ会社や単に有名な会社の試験を受けたか
これは、別に世間からみて立派な進路がいいってわけではありません。自分が望んで自分で選んだかどうかだと思うのです。私の身の回りを見ると、この道に進むと決めて専門学校にいき卒業後その分野の仕事に就いた人、就職活動を頑張り大学卒業後に望む仕事に就いた人は、充実した人生を送っているように見えます。
一方、なんとなく大学に進学して、就職試験も本腰入れず、就職した仕事は1~2年で辞めてしまい、次の仕事も長く続かず・・・といった人は、あまり幸せそうに見えません。
これは、もちろん専門学校がいいとか勤続年数を長くしようという話ではなく、自分で考えて進路を選んだかどうか、決めたかどうかが大事だと言いたいのです。別にどこへ進むでもいいのです。また、なんとなく選んでしまった道でも、ここで全力を尽くしてやっていこうと決めればいいのです。
つまらなく過ごしている人は、そのような決断をしていないのではないでしょうか。
②充実している人は自分の望むものがわかっていて、
つまらなそうにしている人は自分の望むものがわかっていない
自分の望むもの、好きなもの、したいこと、これらがはっきりとしていれば、それに向かって進んでいくことができます。つまらなそうにしてる人は、これらを知らなかったり知ろうとしていないのではないでしょうか。
自分自身の観察をしていないのです。
社会人になって数年たてば、自分は○○することに向いてるな、とか、面白く思えるのは○○のようなことをしているときだ、など、自分のことについてより詳しくなると思いますが、それがわからないということは、自分のことがよく見えていないか、いつも同じことを何も考えずに繰り返しているかです。10~20代の時期は、様々なことにチャレンジして、自分の望むものをはっきりとさせることが必要ではないでしょうか。社会に出る前、学生のうちにそれができれな最適なのかもしれません。
今私は社会に出て何年もたっていますが、もし学生に戻れるとしたら、もっと勉強をすることに加え、アルバイトでいろいろな仕事をしてみるとか、自分の興味のある会社で仕事をさせてもらうと思います。
③充実している人は人生の主役を演じ、
つまらなそうにしている人は傍観者になっている
人生をつまらなく過ごしている人は、自分の人生を、どこか舞台の下から見ているのではないでしょうか。 目の前のことに本気で取り組まず、自分の身の回りで問題が起きたり、自分の不利益になるようなことが起きても、文句を言うだけでどうにかしようとしない。傍観者のようにしています。
自分のことなのに、です。自分の人生を自分でよくしようと思っていないのかもしれません。
会社に就職して仕事を始め、望んでいたのとは違う部署に配属になった時に、仕事人生を充実させられる人は、まず、目の前のことに全力で取り組み、そこで結果を出して自分が望む仕事に近づくとか、あるいはスパッと辞めてしまって一気に自分の望む仕事を始めたりなど、いずれにしても、今の状況をどうにかしてやろうという気概があります。
一方、人生をつまらなくする人は、文句を言いながらしぶしぶ仕事を続けていくだけです。どこかでこんなんじゃないのになぁとか、引っかかるものを持っていても、そのまま同じことを続け、なにも行動をしようとしないのです。
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人生は、選択の積み重ねです。節目節目の大きな選択はもちろんですが、毎日の小さな選択も積み重なって、今の自分がいるのです。その選択を自分で選び取らず、自分のやることを傍観していれば、人生充実とは遠いものになってしまします。
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