雑用を依頼されると嫌な気分になるのはなぜなのかを考えると、面白くないこと、手間のかかることを“やらされる”からではないでしょうか。
だいたい雑用的な仕事は、単純な作業であったり、手間だけかかるような作業で、依頼者が自分でやるのが時間もかかるしめんどうだから、他の人に振った仕事です。当然ながら、ある仕事の一部分だけの仕事になり、自発的に行うというよりも、やらされる感じがしてしまう。
それならば、切り離された一部の雑用だけではなく、仕事全体をやらせてもらったり、先に自分でその仕事をとってやってしまった方がよいのでは?というのがこの記事の趣旨です。
そうすれば、嫌な気分は少なくなりそうです。大きな仕事であれば、仕事全部を自分1人でやるのは無理ですが、依頼された部分だけではなく、もう少し範囲を広げて、自分で裁量をもてる部分をつくることはできます。
細切れの仕事をやるのは、まず自発性が湧いてこないですよね。やるべきことは決まっていて、これだけやってと相手から依頼されるのですから、自らやる意識を持ちにくいです。ある程度の範囲をやることになれば、これをこのように進めて、ここはこう工夫して、などと自らやる意識を持てますし、実際に自ら考えて実行する部分が大きくなります。
細切れの仕事を与えられるだけだと、単に指示された通りにそれをやるだけになってしまいます。また、仕事の全体像が見えづらいです。見えていたとしても仕事全体をどう動かすかにはタッチしていないので、仕事全体をやっている感が少なくなってしまいます。自分が雑用をやって手伝った仕事が完遂してもとくに達成感は無いですし、あるいは、仕事全体が完遂したこと自体知らされなかったりします。自分が雑用をやったあの仕事はどうなったのだろう?教えてくれないな。ってことありますよね。
私はメーカーで仕事をしているのですが、ある製品の特定のロットに問題があり、該当ロットのみ回収しなくてはいけないことがありました。これには、該当ロットの把握、回収品の状況確認、回収することになった問題点の原因調査、社内での連絡、事務処理などが必要となります。
ここで、他の誰かがこの仕事を担当していて、雑用というかひとつの作業のみを振られたら、こんな感じになります。「回収すべき品の数量を調べてくれ」とか「○○さんに、これを伝えて了承をもらっておいて」
このようにある一部分だけ依頼されたら、めんどくさくて嫌だなぁと思ってしまいます。
でも、このとき、回収する仕事全体を自分がやりますと手を上げて、すべて自分でやることにしました。すると、「回収すべき品の数量を調べよう」とか「○○さんに、これを伝えて了承をもらっておかなくちゃ」と自ら考えて実行することができます。そうなると、めんどくささはゼロではないですが少なく、嫌だなあとは思いませんでした。
でも時間はかかってしまいますが。
細切れの雑用を依頼されるくらいなら、その仕事全部くれと言って、(仕事全体がそこまで大きくないのであれば)すべて自分が引き取ってやってしまったほうがいいのではないかと考えるわけです。自ら考えていろいろと工夫しながら実行できますし、仕事全体が見えていて、完了すれば
「よし、終わった」
という気持ちが持てます。
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