原因を特定するときには最後の藁にダマされないこと

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問題の原因追求では、往々にして失敗を起こした人や、失敗を起こすことになった直接的な出来事に目がいきやすく、それが原因だと勘違いをしやすいです。

 

こんなことわざがあります。

 

「ラクダの背中に荷物をたくさん積んでいったときに、これ以上はもう無理!というところで、藁なら大丈夫だろうと思って載せてたら、そこが限界点でラクダの骨が折れてしまって、荷物すべてが運べなくなった。」

 

“最後の藁”ということわざです。

 

saigonowara

 

実際にこの状況を目にしたときに、「ラクダが骨折してしまった原因は、最後に積んだ藁のせいだ!」と言う人は少ないです。もともと、重い荷物を積みすぎていたことや、普段からそのようにしてラクダを酷使していたことが、原因であって、直接ラクダの骨折させてしまった“最後の藁”は真の原因ではない考えるはずです。

しかし、こと我々が行っている仕事の現場の話になると、この“最後の藁”に失敗を求めやすい。とくに、そうなりやすいのが、他人の失敗を見たときです。他人の失敗の時にはその事情や当人の心理が詳しくわからないので、はたから見て目につきやすいところに原因を求めたり、見えやすい本人の行動に原因があったと捉え、環境や状況の影響を過小評価しやすくなります。

一方、自分の失敗の時は、事情が良くわかっているし、自分にとって好ましくないことは外的な原因を過大評価しがちになります。つまり自分のせいじゃなくて環境のせいだよと自己防衛するということです。人にはこのような思考の偏り、行為者-観察者効果と呼ばれるものがあります。

パッと失敗を見かけたときに、往々にして、目につきやすいところに原因を求めやすいし、その人が悪いのだと考えやすいです。製造メーカーの製造現場にて、ある作業者が部品の取り違えを起こしてしまったら、その人の能力が問題で、最終的に問題が発生した部分である”取り間違えた”というところにフォーカスしやすいです。ここが最後の藁になります。

しかし、実は、

「部品が取り間違えやすいようにならんでおり、現場の人もそれを感じていたが、変更のために提案をしたりするのが面倒でそのままに放置していた」

という事であれば、部品の置き方やそれを指摘しづらい環境の方に問題があり、さらにその原因としては、リーダーが気付いていなかったことや、作業者が問題を指摘できる環境が整っていなかったことになります。

安易に“最後の藁”に原因を求めず、真の原因を探るようにすべきです。

 

 
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