自分の近しい人が出世をし、自分は出世できていないとき、多かれ少なかれ悔しくなったり、気が沈んだりしてしまうと思います。なぜアイツが出世したのか?と考えるときには、
当事者は、自分の実力で出世したのだと考える。
傍から見る他の人は、運が良かったのだろうと考える。
といったことがあるかと思います。これは、どちらなのかというと、おそらく両方あるのだと思います。
成果を出し、上司に全力で応えるなど、当人の実力や努力が評価につながって出世をするのが基本ですが、一方で、運が良かったからという理由も間違いなくあります。偶然、新しい部門ができてポジションができたとか、上のポジションにいた人が他の部署に移ったので自分が上に上がれたとかとか、自分の上司が力のある人だったので引き上げてもらえた、などです。
出世できるかできないかを決めるものに実力と運の2つがあるとしたら、前者の実力に関しては自分の努力で良くしていくことができますが、後者の運は自分の努力では良くしていくことができません。前者は自分でコントロールできるものです(仕事で成果を出すことだけではなく、社内を上手く立ち回るとか上司に取り入るとかいった努力も含みます)。後者は自分でコントロールできないものです。
出世に関することだけでなく、社内での評価も実力による部分と運による部分があるはずです。たとえば、美人な人はそうでない人に比べてそれだけで評価が高くなったり、失敗をしても大目に見てもらえる可能性が高いです。心理学のある実験結果で、美人な人とそうではない人がそれぞれ同じ犯罪を犯した場合、美人な人の方が与えられる罪が軽くなる傾向が出ています。整形すれば別ですが、顔の作りはすでに決められているもので変えようがありません。
評価は、実力及び成果と、運で決まるのであれば、
努力をして成果が出る、かつ運もよければ、100点の評価が得られる。
努力をして成果が出ても、運が悪ければ、50点の評価となる。
努力を何もせずに成果が出なくても、運が良ければ、50点の評価となる。
努力を何もせず成果を出さずに、かつ運も悪いと0点の評価となる。
ということになります。
サラリーマン生活は、マラソンのようなものだと言われます。サラリーマンでなくて人生がそうなのかもしれません。20歳から65歳まで働いたら、仕事人生は45年間あります。この3ヵ月だけとか今年1年だけとか、短かい期間で見ると、運が悪いことによって評価が低迷することがあるはずです。そのときに、やる気を失ってしまうのではなく、努力して成果は出すことは続けて50点をとります。数年間ずっと運が悪いことなどないはずですから、多少でも運が良くなってくれば、70点、80点の評価になっていくかもしれません。
運が良いと全力出すけど、悪いとやる気を無くしてしまい成果が出ない人と、
運が良くても悪くても全力を出し続けている人
長期間で見た結果を総合すれば、当然、後者のほうが評価を受けるようになるはずです。そして、仕事はマラソンのようなもの、いや、マラソンよりよっぽど長い長期戦なのです。短期的な結果で自分より先に出征した同僚を見て、なぜアイツが出世するのか?と妬むのは精神上よくないです。
長期戦であることを認識して、50点の評価は必ず取り続けるというような姿勢を、淡々と取り続けるのか健全であるように思います。
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