余計な情報をつけると話がわかりにくくなってしまう

コミュニケーション


世の中、わかりやすい話をする人と、わかりにくい話をする人がいます。わかりにくい話を聞くときは、だから結論は何なの?とイライラしてしまいますよね?

わかりにくい話を聞きながら考えることがあります。なんでこんなにわかりにくいのだろう?

その原因のひとつに、余計な情報も付け足して話してしまう、といったことがあると思います。なぜ余計な情報も話してしまうのかというと、相手が話を理解するのにどんな情報が必要かを相手視点で考えていないからで、さらに、自分が話したいことを話してしまうからです。

たとえば、私の体験でこういったことがありました。メーカーでの話です。いくつかの新商品の製造が開発され、そろそろ製造開始をする段階になっていて、それらの新商品をいつまでに何個製造するのか、製造部門が知りたい状況でした。もともと営業部門がお客さんに連絡して、必要製造数を確認し、製造部門へ情報を流すことになっていました。なので、製造部門は、何人かの担当営業にどれだけ製造すればよいか確認をしました。

 

余計な言葉を付けて話をする営業はこう答えていました。

「今、まだはっきりわかっていないのですが、一応昨年の実績では、○○個程度です。このくらいかなと思うのですが、どうですかね?今、お客様に数字を出してくれるように催促しているのですが、返事がないので正確な数はわからず、変わるかもしれません。」

 

一方で、余計な言葉をそぎ落として話をする営業はこう答えていました。

「お客様に確認したのですが、まだ返事が来ていません。今週中には、聞き取りしますので、待ってください。」

しばらくして、

「○○日までに○○個を製造してお客様の物流センターへ入庫してください。」

 

どちらの答えにしても、とりあえずは正確な必要製造数がわからないので、製造はできないのですが、余計な言葉を付けて話をする営業は、昨年の実績がどうのこうの付け足しています。また、催促していて頑張っているけど返事がないとか、製造部門にとってどうでもいい話もしており、話がごちゃごちゃして分かりづらくなりますし、製造部門はよくわからず混乱してしまいます。

いちいち余計な話をするのは、言い訳がましい人に多いです。余計な言葉を付けて話をした営業は、「まだ、情報とれていないです」と素直に言えないので、あれこれ話をしてごまかそうとしていたのです。

必要な情報と不必要な情報を混在させてしまうと、自分ではわかる話でも、相手にとっては何のこっちゃわかりにくくなります。余計な情報を付けると、いちいちその余計な情報についても情報処理しないといけないからです。ですので、相手にとってわかりやすく話をするには、相手にとって余計な情報をそぎ落とすようにします。

といっても削るのは余計な情報だけです。削りすぎて必要な話も無くなってしまっては、相手が理解できません。相手が理解するのに必要最小限の情報を提供しなくてはいけません。

 

余計な情報を付けて話をする人は、

これを言ったら相手は混乱するかもな?

相手はどのような情報が必要かな?

これは、相手に伝える必要はないかな?

など考えてません。相手がどう捉えるかな?と考える想像力が無いのですね。

自分が考えたことをそのままつらつらと伝えてしまうと、上記したわかりにくい話をする営業のようになってしまいます。

 

 

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