自分の苦しみをわかってくれないのは普通である

心を楽にする考え方


私はこんなに大変なのに、それをわかってくれない。私はこんなにやっているのに、それをねぎらってくれない。そう感じることがあると思います。

他人の心の中のことをわかる、理解するのは、非常に難しいことであると思います。だから、他人に対して私のことをわかってほしいと期待しても、その期待どおりになることは少ないでしょう。

人のつらさ、大変さはわからない。

私は性格上、他人に迷惑をかけたくなという意識を持っています。故意ではなかったとしても迷惑をかけてしまうと、とても申し訳ない気持ちになってしまうのです。

知人が運転する車に乗せてもらって遠出した時、峠道を通った時に車酔いしてしまったことがありました。なんどか車を止めてもらって休憩しても、車で走りだすとまたすぐに気持ち悪くなってしまい、最終的には嘔吐してしまったのでした。

その後、しばらくして飲み会に参加することがありました(上記の車の運転手はいない)。30名程度で楽しくお酒を飲んでいたのですが、近く座っていたひとが飲みすぎてしまい、帰るときに気持ち悪くなってしまいました。

苦しそうにしているなと思うくらいで、どこまで苦しいのかはわかりません。だからといって別に無視したりするわけでなく、トイレまで連れていったり、水を買ってきたりするのですが、どれだけ苦しいのかイメージできませんでした。これは、私の想像力やら共感力が乏しいからかもしれません。

何日か前に、自分が車酔いで思い切り苦しんだのだから、酒に酔って苦しんでいる人を見て、「こんな感じで苦しいだろうな」とイメージできてもいいだろうに、と思いましたが、できませんでした。

というか、自分もお酒を飲みすぎて気持ち悪くなったことはあります。そういった記憶を呼び出して、ああ、この人は今、あのときの自分のように苦しいのだな、あのくらいキツイのかなと考えることができてもいいと思うのですが、できず。やはり、他人の痛みはわからないものだなと思います。

やはり他人の大変さはわからないものだと思います。だから、私の大変さをわかってほしい、私の苦しみを理解してほしいと、他人に願うのは、これもまた無理な話なのかもしれませんね。

 

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