「オシャレなお店で買ってきた服を着てもなんだかさまになりません。顔のせいかな。」
「どうコーディネートしてもオシャレ感が出てこないな。」
出かける前に服を選んで、鏡で自分の姿を見ているときに、こう思うことがありました。
でも、顔のせいとはいっても、ショップの店員さんで、お世辞にもそんなに顔がよくないひとでも、オシャレ感がめちゃくちゃあるひとがいます。これはなぜなのでしょう。
それはセンス言ってしまえばそれまでですが、そのセンスがないから困っているのです。じゃあセンスが無いひとはどうしたらいいのかということを、この記事で書きました。
感覚でファッションは磨けない
カッコいいモデルの写真で飾られたファッション雑誌を見ても、ほとんとのひとのファッションはよくなりません。
ファッション雑誌を見て、ファッションセンスを高められるひとは、ある種の才能があるかと思います。
「こんな感じの服をこんな感じの組み合わせで着ればいいのか」と、感覚で服を選んで、コーディネートする。それだけで「センスいいね」と言われるひとは、もともとファッションセンスを備えているのでしょう。
あなたは、そうでないからこの記事を読んでいるのだと思います(失礼!)。
ファッション雑誌には、何をどう着たらよいか、きちんとした文章での説明がないですよね。私の観測範囲では、カッコよさげな写真が載っているのがほとんどです。
だから、こんな感じの服がカッコよくて、こんな感じに着ればいいのかと思って、服を買ったりコーディネートしたりします。
でも、その「こんな感じ…」というのは、きちんと言葉で説明できていない感覚的な選択です。
もともとセンスの無いひとは、そのように感覚に頼っていてもダメです。頼るべきは理論です。
感覚ではなくで理論に頼ろう
このご時世、本屋には本が溢れかえっていて、たくさんの教科書があります。
教科書とは、国語、算数、理科、社会などの学校でつかうものだけではありません。私たちの生活に根ざしたことでも、どんなことにも教科書があります。
そこに書かれているのは理論です。
理論とは、個別の事象に法則を見い出したり、筋道を立ててまとめた知識の体系です。
たとえば、どういった食事をすれば健康に暮らせるのか、健康的な食生活の理論があります。スポーツ能力を高めるためのトレーニングにも理論がありますよね。
よりよい睡眠をとるための理論だってあります。実験と結果検証によって、導き出されて、まとめられてきたものですね。
どんなことにも先人が研究をしてきた理論が存在しています。それでしたら、オシャレなファッションの理論だってつくれるに決まっていますし、実際つくったひともいます。
MB氏です。
MB氏は中学生のころに洋服に興味をもってから、「なぜファッションには教科書がないのだろうか」と疑問を抱き続けてきたそうです。
洋服屋でアルバイトをしながら、洋服に関する情報をノートに書き、パソコンに入力しまとめていきました。
大学卒業後は、アパレル業界に身を置き、ショップスタッフ、店舗マネジメント、バイヤー、ECサイト立ち上げなどの仕事をしました。
仕事のあとには毎晩、オシャレの教科書づくりのために、喫茶店で情報をアップデートするということを行ってきたそうです。
ファッションの理論をつくりあげてきた先人がいるのですよね。私たちが頼るべきものは、センスではなくて先人がつくりあげた理論です。
センスが無いひとがセンスを発揮しようとしても上手くいきません。
ファッションセンスがないひとがファッションセンスを発揮しようとしても、オシャレな着こなしはできないかと思います。
センスは感覚的によくできるものではありませんが、理論は確実に学ぶことができます。知識や技術は身につけることができます。
センスがあるひとは、別に理論などなくても感覚で上手くいってしまうのでしょうね。MB氏は、センスの無いひとにもわかるように、言葉でわかるように書いてくれているのです。
これはファッションに限った話ではないのですが、先人の経験や研究結果がまとまった本を1000数百円で得ることができるのは、すごい話ではあると思います。
センスの無い血筋
私の父親の話をしましょう。
昔、私がまだ子供だったころ、父親はよく料理をしていました。ふつうの家庭の父親と比べたら、料理の腕があったと思います。
しかし、ひとつだけ難点がありました。それは自分のセンスを発揮しようとすることでした。
ふつうだったら使わないような食材でダシをとってみたり、ふつうでは加えないような調味料を隠し味にしたりするのです。
料理のセオリーどおりにせず、あえて外そうとするのです。出来上がった料理には家族の箸がのびません。
カレーに大量のショウガをいれて、さらに調味料いろいろ加えて、クセのあるカレーがつくりあげられたことがありました。
その味は、「一杯食べたらもういいや」というものでした。というより、一杯目も完食すらたいへんでした。激マズではないのですが、「う~ん…」とコメントが出てこないような味でしたね。
たまに10回に1回くらいはヒットして、おいしいものができていたように思いますが…。センスで作った料理は失敗作が多かったです。
でも、料理の腕というか、手際はよかったのはたしかです。セオリー通りに作った料理は、おいしかったです。とフォローしておきましょう。
こんな話を書いたのは、なにごともセンスが無いひとがセンスを発揮しようとしても、ろくなものにならない、ことを言いたかったからです。それをやるにしても、まずは基本どおりのやり方ができるようになってからでしょう。
その父親の血を受け継いでいる私も、わざと外して自分なりのものを創りあげようとするクセがありました。
そして父親の料理を同じように、なんにしても上手くいっていなかったように思います。
ファッションであれば、古着で他では見られないようなデザインのものを選んで着たりすることがありましたが、あまりオシャレではなかったでしょう。自分でも、「なんだかパッとしないなぁ」と思いを持ちながら服を着ていました。
「センスが無いひとがセンスを発揮しようとしても上手くいきません」と、偉そうにひどいことを上に書きましたが、それは私のことなのでした。
理論どおりにやって最短でファッションセンスを磨く
そんな父親のことを思い出していると、
- 理論を知って理論どおりにやる
- 教科書を見て教科書どおりにやる
やはり、これが大事だと思いました。
さて、MB氏が書いた本はいくつもあるのですが、そのなかでも「最速でおしゃれに見せる方法」が決定版のようで、1冊目はこれを読むとよいのではないかと思います。
オシャレだなと思わせる着こなしのために、こんなことが書かれています。ベースとなる部分だと思いました。
・ドレスとカジュアルのバランスをとる
・基本のシルエットは「I」「Y」「A」をとる
目から鱗といいますか、こんな知識は見たことも聞いたことも考えたこともありませんでした。私がたんにファッションに疎いからかもしれませんが…。
ファッション雑誌と異なるのは、「これがカッコいいスタイルなんだぞ」と写真で見せるだけではなくて、文章で根拠も合わせて説明していることです。
ファッションセンスを磨きたいなら、写真を見るのではなくて、文章を読むべきです。
この基本ルールを知ってから、街行くひとのファッションが、上記2つ点に当てはまっているかどうか見ることが増えました。
当てはまっている人のファッションはオシャレ感が出ていて、当てはまっていないひとのファッションはオシャレ感が出ていないと、たしかに感じました。
センスがなくても、理論を学んで理論通りに実践する。教科書を読んで教科書どおりに実践する。
そうすれば、一足飛びはできないけれど着実にセンスが磨かれ、合格点は出せるようになるだろうな、と思うのです。それがセンスが無いひとがすべき行動でしょう。
コメント